着物は楽(らく)なのです。

11月になりました。9月にも同じテーマで書いたのですが、10月に入ると着物の生活では、また更衣をします。単衣(ひとえ)から袷(あわせ)という着物を着るようになります。つまり袷の時期は、10月から5月までという長い時期ですので、まさに「着物の季節」などと着物の雑誌などではよく言われますね。

しかしながら今年は、10月に入ってからも最高気温が28度になるなど夏が戻ったような気候になったり、その次の週は最高気温が20度を下回るような気候だったり、気温の上がり下がりが目まぐるしい月となりました。そして、秋だなぁということもあまり感じることがないうちに、マフラーが必要な気候になりました。

さらには、一日で昼間と夜の気温差が10度以上などの日もあり、体調管理が本当にたいへんですね。電車などでは、鼻をぐずぐずさせている人、咳をしている人がたくさんいました。この気温の変化ではしかたがないと言えるでしょう。

で!

こんな季節の時には声を大にして言いたい!

こんなに気候が変化する時には、着物を着ている方が身体が楽なのです。

しょっちゅう着物をきていると、「どうして着物をきているのですか?」とよく聞かれるのですが、理由は明快で、気温の変化に対して「楽」だからです。

特に「外出」する時が楽なのです。朝の天気予報で、「今日は、お昼は半袖でもいいくらいですが、帰宅の時間は長袖の上着が必要でしょう。」などと聞くことがありませんか?

そんな時は、着物だから「安心」して出かけられます。上着を持っていないために、さむーい思いはしなくて済むからです。反対に少しぐらい暑くなっても首すじや腕からすっと涼しい風が入ってきます。

夏の場合も同じようなことがあります。現代では、デパートやコンサート会場など大勢の人が集まる場所では、エアコンが効き過ぎていることがあります。外から「暑~い」とビルの中に飛び込んだら「北極か?」と思えるくらいに冷えていて、(実際にはそうではないのかもしれませんが、)外との気温差に身体もびっくりしたことはありませんか?

こんな時、着物を着ていると安心なのです。

着物が、四季の移り変わりのある日本という国の衣服なのだなとしみじみと思うこのごろです。

 

 

 

雨の日と草履のこと

今年の夏は、例年になく雨が多い季節になりました。

着物生活していると天気が、いつもより気になります。そして、外出するのに雨が降っていたり、夕方から雨という予報だったりですと雨ゴートや草履カバーなどいろいろと準備するので荷物が多くなりがちです。

特に訪問着を着るようなパーティや食事会などでは、足袋が汚れた時のために替えや、行くときには雨用の草履を履いていくので、会場についてから訪問着用に草履に履き替えたりと旅行でもないのに旅行に行くかのような荷物を持っていくこともあります。

着物が日常であった頃、雨の日にはどうしていたのかしらと想像してしまいます。

現代では、洗える着物がありますし、木綿の着物で対応できますが、たいへんなのが草履なのです。草履は、構造上雨に弱いのです。鼻緒をすげるために底に穴があります。そこから雨が染み込むのはさけられません。以前、そういうこと知らずに小雨の時に普通の草履で2日間歩きまわったことがありました。お友達の結婚式に着物で出席したのですが、帰りに歩いているとなんか足もとがすべるなあと思ったら、なんと片方の底が半分はずれかけて、ブラブラしているのです。恥ずかしいやら歩きづらいやら、歩幅を小さくしてなんとか帰ったという失敗もしました。

雨への対策として、底がウレタンでできた草履もあり、雨の日にはぴったりなのですが、鼻緒の調整ができないので履きづらかった経験があります。また、普段の草履にカバーをかけてという方法もあるのですが、やはり歩きづらいのと、あまり格好はいいとは言えなくて、あまり好きではないのです。

他には、雨下駄という雨用に履く下駄があります。つま先には、爪皮というつま先をカバーするものをつけて履きます。ただし、下駄は慣れないと歩きにくいのです。靴という足底の動きにある程度ついてくる履物になれると板状の履物はつらいものです。デコボコした道や階段を上がるときなど転んでしまいそう気もします。昔は、下駄で自転車に乗ったり、走ったりすることもあったらしいのですから、反対に現代人の方が、足がしっかりとしていないということなのかもしれません。

雨の日に雨下駄を履いて、きれい色の雨ゴートを着て、蛇の目傘をさしてなんてことができれば、なんて格好いいのでしょう。雨の日の着物生活も楽しくしたいとは思っています。

今のところは、小雨や雨上がりは、底が雨対応の草履で、けっこう降っている時は草履カバーを併用しています。

考えることの多い、雨の日と履物です。

 

 

 

 

 

更衣(ころもがえ)

9月になりました。「更衣(ころもがえ)」の時期です。

9月になると「単衣」という着物を着るようになります。

「単衣」と書いて"ひとえ"と読みます。簡単にいうと裏地のついていない仕立てをした着物です。

着物は、季節によってその仕立て方を変えます。

現代は、「袷(あわせ)」「単衣(ひとえ)」「薄物(うすもの)」と大きく分けて3つになります。

江戸時代は、もっと細かく「綿入れ」とか「口綿(くちわた)」といった分け方をしていたそうです。(口綿とは、袷の着物の裾部分などに綿が入っていて膨らんでいるのを時代劇などでみたこともあると思いますが、そのような仕立てのことです。)

つまり、盛夏を除いた季節を一枚の着物を仕立て方を変えることで、寒さを防いで着まわすことができたらしいのです。余談ですが、「四月一日」さんという姓があります。「わたぬき」さんと読みますが、4月1日に綿入れ仕立ての着物から、綿を抜いて仕立直したことからそのように読むそうです。この話を聞いた時、昔は当たり前ですが着物が日常の中にあり、人々の生活の中に溶け込んでいたのだなと改めて感じました。

"単衣"のことに戻りますが、今年は気候としては楽な衣替えになりました。

8月の末から突然秋のような気温になったからです。

例年ですと、9月になっても30度を越す気温の日が続いていることが多くて困るのです。

7月8月の盛夏には、薄物という透けた生地の着物を着ます。つまり、8月31日は薄物を着ますが、9月1日になると単衣を着るというのが基本的な習慣なのです。実際には、9月1日になったからといって、それまで続いていた夏の暑さが一気に秋らしい気温になる訳でもありません。地球温暖化の現在では、さすがに暑いので九月の1週目辺りまでは夏の盛夏の着物でいいという方もいらっしゃいますが、約束事を大切にする気持ちもあるため、非常に悩ましい季節となるのです。

個人的には、暦ではなく、気温28度ぐらいまでは薄物でも9月に着てヨシということにしてほしいのですが。

でも、9月に単衣を着て外を歩いている時、暑いことは暑いのですが、すっと袖に絡む風が真夏に比べてかなり涼しくなっていて、秋を感じることがあります。そんな時、着物は、やはり生活に根ざした衣装なのだなと思うのです。

アンティーク着物の話1

ヤフーブログの時に書いた文章です。↓

再掲します。

着物を着るようになると、知り合いから着物をいただくことがあります。

呉服屋さんで選んだ新しい着物も素敵ですが、私はいただいた着物というも好きです。
 
伯母から譲られた着物で、約100年前の大島紬があります。
箱を開けたとき、地味ーな大島だなあと思いました。でも、羽織ってみると薄い羽のようですごく軽くて着易いのです。
電話で話を訊いたところ、「それね。明治13年生まれの母のもので、たぶん明治の末か、大正の時期に作ったはずだから100年ぐらいはたっているのではないかしら。」とのことです。
 
知り合いの着物リサイクルショップの店長さん(元大手呉服やさんの店長)に見てみせたら、今はあまり作られない割り込み式という織り方をしているし、色や絣の模様からみても、確かに昭和以前ものだよね。」と言われました。まだ、着られるとも。
 
100年前の大島!でも、現役。
こんな時、着物のすばらしさを感じます。
100年前のものがまだ着られるなんて。
着物は、洗い張りをして、仕立替えれば、世代を越えて何十年も着ることができる(もちろん限界はありますが)究極のリサイクルと言う人がいますが、こうして目の当たりにすると鳥肌がたつような感慨を覚えました。
 
時々この大島を着て街を歩く時、この着物は今まで何をみて何を感じてきたのだろうと考えています。そして、私が着ることで、現代を生きて新しい時代をみているのではないかなと想像しています。
 
現代はどんな風に100年前の大島紬には写っているのでしょうか?
 
大切に着続けていきたいと思います。

アンティーク着物の話2

母方の祖母の形見の帯があります。

祖母が結婚したころですから、大正時代のものでしょう。

鮮やかな緑色の丸帯で、結婚記念の写真にもしっかりと写っています。

夫の祖父の家では呉服屋を営んでいたこともあり、嫁入りの時にはたくさん着物を持っていたと聞いています。

私が着物を着るようになって、母に「おばあちゃんの着物って残っていないの?」と訪ねると「戦後にお米や私のスカートに変わっちゃったわねー。」なんともつれない話でした。大島紬などあったらしいのですが、それは母が東京に出てきた時の洋服になったらしいのです。

戦争がなければ、もしかするとけっこういいアンティーク着物が私の手にあった・・・と思ってみても、もう仕方がありません。

戦後の苦しい状況でも、祖母はお嫁入りの帯を手放さなかったのでしょう。今では、伯母と母の2人のところに2つに分けられて残されています。

丸帯というのは、昔は今の帯幅の倍で織られているもので、昔はこれを折って着付けていたようです。

倍の幅があるため、今で言う「袋帯」が2本に分けらることができます。

その1本が私の母の手元にあるわけです。

だいぶ古くはなっているのものの、重厚に織られていることは変わらず、昔の人の技術のすばらしさを感じます。

もう、私には色と柄が若すぎて締めることはできませんが、いつか娘たちが身につけてくれるとを期待して、大切に保管しておきます。